(4)−1 アナトリア文明博物館

 

この博物館は、トルコの首都アンカラ城の塔の一つに設置されたのが始めで、その後アタチェルクの提言でヒッタイト博物館が創設された。その為、より大きな建物が必要になり、マフメットパシャベデステンとクルスフンルファンの改築工事が行われ、1943年には一部オープンしたが、全ての工事が終わったのは1968年だった。

旧石器時代(約200万年前から1万年前まで)から、新石器時代(BC6800-5700年)、銅石器時代(BC5400-4750年)、初期青銅器時代(BC4000年代末−3000年代初め)、アッシリア植民地時代(BC1950-1750年)、古ヒッタイトとヒッタイト帝国時代(BC2000年−800年)、新ヒッタイト王国(1200-700年)、フリギア(BC1200-700年)、ウラルトウ(BC1000年代初期)、リディア時代(BC685頃から)のものが展示されている。いわば、この地域で、紀元前に生活していた人達の生活道具、宗教的なもの、美術品などが展示されているのである。

 

以下、「アナトリアの文明−1200年から今日まで」と題して、現地で買い求めた”アナトリア文明博物館”からの抜粋である。

紀元前2千年紀の末、周辺の海域からアナトリアへ移動してきた「海の民」の侵入は、徹底的な変化をもたらし、アナトリアを広範に支配したヒッタイト帝国は歴史の舞台から消え去った。紀元前1千年紀前半のアナトリアは、後期ヒッタイト、ウラルトウ、フリュギアの各王国の下に治められた。同時期、ドーリア人の侵入によって混乱したギリシャ人はエーゲ海諸島から西アナトリアへ移動し、土着の人々と結びついてイオニア文明の基礎が築かれたのである。コンパスを使用して描かれた意匠によって特徴づけられるこの時期は、「原幾何学(様式)時代」と呼ばれる(BC1100-950年)。直線的な幾何学的意匠が曲線的な意匠に代わって用いられるようになり、「幾何学(様式)時代」が始まる(BC950-600年)。

常に重視されるイオニア美術も、東方の美術との出会いの結果、彫刻、建築、或いは土器におい、重要な展開を示すことになる。建築においては、後の巨大神殿建築の基礎が築かれた。彫像では、原幾何学的人体構造に近いものが現出され始めた。紀元前670年代には、巨大な大理石彫像が制作され始めた。土器美術では、動物文フリーズで飾られた東部ギリシャの彩文土器が、アナトリアのより彩色豊かな表現と共に継続された。

東方化様式時代の後、「アルカイック」時代にも、特徴的な巨大彫像において、この様式がある程度継続されたことが後づけられる。この時期のアナトリア文化に特徴的な彫像やイオニアの建築手法は、西エーゲ海地域で後の「古典時代」の美術へ影響を与えた。

紀元前700−300年の間、南西アナトリアにはカリアおよびリュリアの文明が存在した。特に、カリア人、リュキア人の岩窟墓は、アナトリアにおいて最も注目される記念建造物に含まれる。中部アナトリアでは、国境をクズルウルマック(赤い河)まで延ばし、フリュギア王国をその配下においた。その立地からイオニア諸都市とも近い関係深いリュディアは、エフェソス(エフェス)をも支配下におき、この地域の最も豊かな王国となった。紀元前7世紀には最初の金属貨幣を鋳造したことでも、歴史にその足跡を残している。

リュディアの支配は紀元前546年にペルシア人により覆され、アナトリアはペルシア人の支配下におかれた(BC546-334年)。この時期のアナトリアの美術はペルシアの影響がみられ始め、グレコ−ペルシア様式が成立する。

紀元前4世紀の末、マケドニアのアレクサンダー大王が、ペルシア支配を終わらせ、紀元前330−30年の間持続された「ヘレニズム時代」が開始された。しかし、アレクサンダー大王の死後、政権争いに陥った将軍達によって、この大帝国は分割され、アナトリアの最重要部分はベルガモン(ベルガマ)王国に帰属した。ペルガモン王国の最後の王の遺言により、アナトリアの西部はローマの支配下に入った。

遺言というかたちでローマの支配下に入ったアナトリアは、戦争によらず平和裏にローマ化された。しかし、アナトリアの伝統的文化は存続された。ローマの最も影響の強い時期でさえ、地方的な特性が重視されていた。ローマ帝国の二分によって、ギリシアの古い一都市であった「ビザンティオン」は、330年に、東ローマ帝国の首都となり、その名も皇帝の名にちなんで「コンスタンチノポリス」と変更された。

ビザンティン美術は、アナトリアにおける地方的な特性を重視したローマの美術伝統に、キリスト教世界がもたらした新しい要素が融合されたものである。ビザンティン文明は、4世紀から15世紀にかけておおよそ1千年に亘り存続した。−後略−

博物館入り口付近の様子、写真の1・4−6は何れも発掘品だが、時代は覚えていない

 

館内の様子

 

BC6千年紀の壁画

 

左:旧石器時代の家屋の復元模型

 

左:母神像(BC5750年頃) 右はその後ろ姿のような気がするが、覚えていない

 

左:戦闘神浮き彫り(BC14-13世紀)

 

 

左:人面付き壷(BC9-8世紀)

 

右:キベレ女神像(BC6世紀中頃)

 

(4)−2 ゴルディオン博物館

アンカラの西南約100qにある、ミダス王の墓のある遺跡に隣接する博物館。ヒッタイト古王国の崩壊後、紀元前750年頃にゴルディオンを首都としてフリュギア人が王国を築いた。その遺跡だ。

左:入り口の様子 右:館内

 

世界最古(BC700年)といわれる貨幣

  

 

陶器類

 

左、中:前青銅器時代(BC4000-3000年代)の箱形墓 右;同甕棺墓

 

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