アーヘン 10月6日 曇り時々晴れ
アーヘンはケルンから70q(バスで1時間)程で、ドイツの最も西にある街(人口25万人)。紀元前3世紀からローマ人が温泉地として利用してきた。
カール大帝(在位768−814年)が最後の20年を過ごした地で、王宮は今の市庁舎の所にあって、東塔グラス塔はかっての王宮の一部だった。
下の写真のように、宝物館に大帝の棺・頭蓋骨・腕の骨などが展示されている。
市庁舎(左側の塔が、王宮の塔)、市庁舎前広場−マルクト広場−の噴水と台座の上のカール大帝像、
大帝の棺、胸像(上部に頭蓋骨が入っている)、大帝の腕の骨
7年に一度公開されるマリア舎利を開けるための鍵で、司教と市長が半分づつ管理している(面白いことに、戦時中のそれは、簡素なものだった)。
この舎利の中には、@ マリアがイエスを産んだときの服 A キリストのおむつ B キリスト磔の時に腰に巻いていた布 C ヨハネが斬首されたときに首に巻いていた布 が納められている。
だ、ということだが…この説明を聞いて、私のような無信心者には、にわかには信じがたい。一神教徒の一途さというか、思い込みというか、理解しがたいものがある。
それにしても、と、一寸飛躍するが、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も元はひとつキリストに行き着く筈。コップの中の嵐が世界に拡散してイデオロギーと結びつき平和を乱しているような気がする。それに引き替え、我が神々は八百万に神が宿るというもの。これが平和の象徴ではないか。
アーヘン大聖堂−カール大帝が800年に中央の八角堂を造らせ、1414年に祭壇側のゴシック様式を増築−
右は、入り口扉(写真左の下部)の伝説の傷で、教会建設のため悪魔と契約を交わし完成させたが、最初に入った人間の魂を取ると言われたため、狼に人間の姿に化けさせて入れたが、悪魔に見破られ怒って蹴飛ばした跡という。
カール大帝のサインを埋め込んである
道沿い様々なにあるモニュメント
アーヘン名物のアーヘナープリテン(クッキー風のお菓子)の老舗Nobisと、その店で買ったもの
名の通り市庁舎の下にあるレストランRatsellerで昼食(仔牛のカルパッチョ、鱈のグリルなど)