ロマンチック街道の町 その1 (アウグスブルク、ネルトリンゲン、ディッケルスビュール) 10月13日 晴れ

 

ロマンチック街道は、ドイツ南東部のバイエルン州の古都ビュルツブルクから中世の街並みのローテンブルク、古い城壁が印象的なディンケスビュール、2000年の歴史を誇るアウクスブルク、ネルトリンゲン、そしてアルプスの麓の町フュッセンに至る35qの道をいう。

そのうちこの日は、アウグスブルクとネルリンゲン、ディケルスビュールの町を訪れた。

 

アウグスブルク

人口、26万人。町の名は、ローマ皇帝アウグストウスの紀元前15年にローマ人によって町が建設されたことに由来する。交易や商業で栄え、15−6世紀にはフッガー家やヴェルザー家などの豪商や銀行家は、世界史を左右する程の財力と権力を持っていた。そして、ルネッサンス文化が華開いた。

ドイツ・ルネッサンスの最高傑作といわれる市庁舎(1620年建立、ファサードの上部には、帝国都市のシンボル双頭の鷲が描かれている)、手前は、アウグストウスの像

右は、3階にある黄金の間で、戦争で破壊され10億円かけて復元−金2.5s使用−した。

 

大聖堂

上:大聖堂外・内部−14−5世紀に現在の姿に、戦火を免れ当時のまま−  

下:マリアのステンド・グラス、「マリア誕生の絵」−1493年ホルバイン画−、旅の聖人クリストフォロスの壁画、マリア像

 

世界最初の社会福祉住宅 フッガーライ

貰ってきたパンフレット

豪商フッガーが1521年に設立。67軒に区分され140のアパートがあり現在150人が生活している。年額家賃は設立時のまま、現在価格で88セント(0.88ユーロ=106円) と、いうのも凄い。財団の資産で運営されている。

 

 

外観など、教会もある、モーツアルトの曾祖父も住んでいた(最後の2枚)

 

ネルトリンゲン

1500万年前に直径1.2qの巨大な隕石が落下して出来たリース盆地にある。1327年に出来た城壁(円形で延長3q)に囲まれ、人口2万人で中世の面影を残す町。

町の起源は、2世紀にローマ軍が駐屯地を置いたことに始まる。1215年には帝国自由都市となり、大市の開催で商業が盛んとなって栄えた。

城壁と城門、そこにある案内図

聖ゲオルグ教会(1519年完成、後期ゴシック様式でダニエルの塔は90b)、内部、ダニエルの塔(階段で330段)からの眺望

木骨組みの家並みが美しい (木骨組:各階ごとに独立した箱になっていて、それを順に積み上げて「鎹−かすがい」で固定したもの−従って、上に行く程外に張り出した家も可能となる−)

 

ディンケルスビュール

古くからドイツの東西(西は、ライン河畔のヴォルムスからプラハを経てクラコフにいたるもの)と南北(南はイタリアのヴェローナからアルプスを越えアウクスブルクを経てバルト海に至るもの)を結んでいた重要な交易路に生まれた10世紀の市場町。

ここは、30年戦争でも第二次大戦でも全く戦災を受けておらず、町全体の景観も12〜16世紀のままというのが市民(人口1万人)の誇りだという。

入り口の案内、ヴェルニッツ門

聖ゲオルグ教会(古くからの礼拝堂を13世紀にロマネスク様式の教会に15世紀にゴシック式に改築)

左:1440年に建てられたドイチェス・ハウス(中央の建物−元は豪商に家だったが、今はホテル・レストラン) 中・左:街並み

ドイチェス・ハウス一階のレストランでお茶を飲んだ