6 私の ロダン美術館

文中の説明は−ENCYCLOPEDIA NIPPONICA  小学館−によった

フランシス・オーギュスト・レ・ロダン(1840-1947)は、フランスに生まれ19世紀の彫刻に活気を与え、現代彫刻への道を開いた近代彫刻最大の芸術家だ。このロダン美術館は、道を挟んでアンバリット廃兵院に隣接している。晩年にロダンが購入して住居とアトリエにしたパリの由緒ある邸館オテル・ビロンは、1916年全作品と共にフランス国家に寄贈され、国立ロダン美術館(写真下)として一般に公開されている。

写真に向かって、左に道路を挟んでアンバリット廃兵院がある。入り口はこの建物の裏側。入ると直ぐ左側に「地獄の門」、右に少し進むと「考える人」「バルザック」の彫刻がある。この庭園にも多くの彫刻が展示されているが、残念ながら題名は分からない。

 

これは有名な「地獄の門」。上野にある国立西洋美術館に、同じものがある。ロダンは、1880年パリ装飾美術館の門扉のための「地獄の門」の発注を受けた。しかしこの作品は、その後40年近くの生涯の努力を傾けてなお未完成に終わった。残された石膏原型からの鋳造は、ロダンと親交のあった日本の松方幸次郎によって初めてなされた。(中略)

大理石女性頭部像「物思い」の悩み多い愛などを背景とし、総計186点の単独像を含んで構想されている。実際に「考える人」「接吻」「永遠の青春」など、ロダンの大理石やブロンズによる名作の単独像が数多く、この構想の過程に実現されていった。

この「地獄の門」及びその周辺に派生した単独像、群像は、ちょうど19世紀末から20世紀初頭にかけての象徴主義的芸術の全盛期に対応している。例えば、「接吻」は、その大胆さにおいて、象徴派の画家達が開発した愛と性のテーマに影響を与えたし、また、これが単に、「神曲」中のパオロとフランチェスカの恋の物語ではなく、いわゆる「呪われた女」との愛の表現だという解釈すらも提出された。

門を入って直ぐ左にある「地獄の門」  美術館玄関

玄関奥にある「考える人」

 

「カレーの市民」   「バルザック」(後ろに、アンバリットが見える)

 

ugolino and his children(庭園の池の中にある−トップの写真−)

 

館内にある「考える人」「ugolino and his children」

 

ムンクの「考える人」の絵

 

この美術館にふさわしく、さまざまなポーズで憩う人達

 

気分はパリジャントップ