スイス日記 2003年7月
3日(木) ホテル日航ウィンズ(成田)に前泊する。
4日(金) チューリッヒへ出発
成田を10時55分発のスイスエアーで出発。チューリッヒ着が16時。時差は7時間。
5日(金) ルッツエルン市内見学の後、グリンデルワルド着。
ルッツエルンの古都を、半日歩き回ってグリンデルワルドに16時過ぎに着いた。落ち着いた素晴らしい街を堪能した。
写真左上から、チューリッヒへの2階建ての電車、1333年に作られた木造のカペル橋(1994年に火災で半分以上消失したが、再建)、ライオン記念碑(スイス傭兵で、フランス革命ー1792年ー類16世一家ーあのマリー・アントワネットもーを守って全滅した786人を記念して造られた)、氷河公園にある氷河の爪痕の穴(深さ9.5b)、市内の眺め、ホーフ教会(4950本のパイプオルガンで有名)、賑わうグリンデルワルト駅前。
6日(日) ユングフラウヨッホ展望台とハイキングを楽しんだ。
写真の電車(100年以上も前に開通)で3454bのユングフラウヨッホに登り、絶景にため息。帰途アイガーグレッチャーで降りて、そこからアルピングレンまでの8qほどを、雪山の絶景と高山植物の咲き乱れる中をハイキングした。
7日(月) シルトホルン展望台とハイキングを楽しんだ。
今日も朝から快晴ということで、シルトホルン展望台に行って来た。6時42分の電車を乗り継いで、2970bのシルトホルン展望台に着いたのは9時近くだった。
写真左から、回転レストラン(ピッツ・グロリアといって、ジェームス・ボンドの007の映画でおなじみ)からと展望台からの眺め、ハイキングでアルベンフートベルまで登った登山鉄道、ハイキング途中での眺めと、見かけた牛。ミューレンからラウターブルネンまで、4時間ほどハイキングをして、花とアルプスの眺めを満喫した。とても充実の1日だった。
8日(火) 3つの峠越えバスの旅に行って来た。
素晴らしい1日だった。まずは写真をご覧ください。
今日の旅の楽しさは何と言っても、左上の写真2番目から5番までに写っている、運転手のサミーさんに尽きる。2番目の写真(CDアルバム)にあるようにヨーデル歌手なのだ。その右の写真にあるように、記念写真を頼んだらいきなり妻を抱き上げるパフォーマンス。そうかと思うと、ホルンの吹奏(4枚目)や 旗振り(民俗芸能)をしたりり(5枚目)、バスの中ではヨーデルばかりでなく、「エーデルワイス」「帰れソレント」等々。歌ばかりでなく運転でも楽しませてくれたのだ。例えば、狭いロータリーを必要もないのに2周したり、崖っぷちの直前に急停車して冷やーとさせたりと、究極のエンターテイナーという感じ。マーモット(7枚目)も、何事?と、キョロキョロ。
3つの峠はスーステン峠(2,224b)、フルカ峠(2,431b)、グリムゼル峠(2,165b)で、これをポストバスで訪ねるもの。朝7時にグリンワルドを出たバスは、途中(インターラーケン、プリエンツ、マイリンゲンなど)の乗客を乗せ満員で峠巡り。お天気は言うことなしの晴天。素晴らしいドライバーの上に、絶景の連続、もう、貧しい語彙では表現のしようもない程の至福の一日だった。18時半、帰着。
9日(水) 2カ所のハイキング(ウンタラーグレッチャー、メンリッヒェン)を楽しんだ。
グリンデルワルトからロープウエイで登って、そこからウンタラー・グレッチャー(下氷河)まで往復2時間半、午後はやはりグリンデルワルトからロープウエイでメンリッヒェンに登り、クライネシャイディックまで1時間半、展望と花の道を楽しんだ。
写真上は下氷河(2番目は、グリンデルワルトの村)、下は、メンリッヒェンからクライネシャイディックまでのハイキングの様子。アイガーの姿が美しい。
10日(木) 今日もハイキング(フィルスト展望台、バッハアルプゼー)を4時間ほど楽しんだ。
連日の好天に恵まれ、ミ・ソ・シ・ド・ミ・ソのラッパの音色と共にポストバスはグリンデルワルドからグロスシャイディックへと出発した。標高差900b(1050から1962b)を30分ほど、それも狭い道路をあえぎながら登ってゆく。アイガーもヴェッターホルンもだんだん低くなっていくような感じだ。終点のグロスシャイディックでは、グリンデルワルドの村が遙か下に見える。そしてヴェッターホルンを始めアイガーなどの山々が360度見渡せる絶景だ。ここからフィルストを経て、バッハアルプゼーまでほぼ平坦なハイキングコースを4時間ほど歩いた。さすがにメインのハイキングコースとあって多くの人とすれ違う(下の写真のように、一緒に写真を写したり、乳母車を押したり)。「ハロー」と言えば、必ず笑顔で応えてくれるのが嬉しい。
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↑写真左から、グリンデルワルド出発前のバス、終点のグロスシャイディックからグリンデルワルト方面(中央下)の景色、後は途中の風景で、最後の二枚は、バッハアルプゼーの景色
11日(金) ミニオフで、Eさんご夫妻と一緒に、シーニゲプラッテ高山植物園を散策した。
私たちが、スイス旅行をするきっかけを提供してくださったEさんご夫妻と、高山植物を見ながら3時間ほどの散策を楽しんだ。ウィンダーズビルから小さな登山鉄道で標高差約1400bほどを登って、標高1967bのところに500種を越す花が咲き乱れる植物園がある。スイスで図らずもミニオフが出来、出会いの不思議さに感動の一日だった。
写真左から、あえぎながら登る登山電車と、車内のテディ、植物園で最初に目にしたエーデルワイス、花の様子と最後は、頂上からのインターラーケンとプリエンツ湖
12日(土) 可愛いSLに乗って、ロートホルンからのハイキングを楽しんだ。
またも快晴の日より。プリエンツまで電車で1時間余。そこからロートホルン(2298b)までSLに乗って、プフォーという汽笛一声の後、シュポシュポという軽快な音とともに高度を上げて行き、標高差1678bを、1時間ほどで終点に着いた。頂上からの眺望は360度。プリエンツ湖のターコイズブルーの魅惑的な湖水を前景に、アルプスの名だたるアイガーやユングが遠くに見える。頂上から中間駅のプランアルプまで、素晴らしい景色と高山植物の花が咲き乱れる中を、2時間余ハイキングを楽しんだ。素晴らしい一日を過ごした。
写真は、急坂を行くSLと頂上駅(3枚目)、頂上の展望(4枚目)、ハイキング(2段目の左から2枚)、山火事のアクシデントで消火活動(次の4枚)、そしてプリエンツへ、最後無事グリンデルワルドのホテルへ(最後の写真の中程の白い建物)。
13日(日) マイリンゲンのライヒェンバッハの滝とアーレシュルフトを見に行ってきた。
マイリンゲンは、グリンデルワルドから電車を乗り継いで1時間余。ライヒェンバッハの滝は、町はずれの小さなケーブルカーで10分ほどのところ、落差100bもある滝。そしてこの滝は、シャーロック・ホームズ終焉の地に設定されていて、滝のある断崖には彼の遺体が発見されたとされる場所に☆印が付けられていて、ケーブルカーの頂上にある望遠鏡ではよく見えるようになっている。下の駅には彼の胸像もあり、途中の街路は彼ゆかりのベーカー街と名付けられ、博物館まである。
アーレシュルフトは、アーレ川が狭い峡谷を流れる様子が身近に見られる。幅が数b、両岸が200bもの断崖絶壁をすさまじい勢いで流れる様子は、息を飲むほど。峡谷を見た帰りに、偶々アルプスホルンの調べを聞き、その素晴らしい音色に感激だった。
写真左から、小さなケーブルカーで滝の近くまで、最も狭いところと峡谷を出た直後の様子、シャーロックホームズの像と彼の遺体が発見されたとされる場所(☆)、アルプスホルンの合奏。
14日(月) ツエルマットに移動途中、エッシネン湖に行って来た。
エッシネン湖は、ゴルフ塾主宰のN氏ご推薦の場所。「アルプスの隠れた宝石」と言われるだけあって、素晴らしい景観に感激。ただ、天気が連日の快晴のためか、明るく開放的な感じが先立ち、神秘的な感じとはほど遠い感じが残念だった(それは、贅沢?)。連日の猛暑で電車から見える牧草も黄色がかっている。ツエルマットに入ってからは、散水しているところが目立つ。
写真左から、シュピーツへ行く電車のに描かれたイラスト、カンデルシュタットの板葺きの教会、ペアーで横向きに乗るリフト、そこからカンデルシュタットの眺め、リフトを降りて20分歩きエッシネン湖へ、ブリークからツエルマットへの電車から石葺きの家、最後はホテル(ラ・ジナベル)のテラスから眺めたマッターホルン。
15日(火) ハイキング(ブラウヘルトからリュッヘルアルプ)を3時間ほどと、ゴルナグラートからの展望を楽しんだ。
朝目覚めると部屋のテラスからモルゲンロートに染まったマッターホルンが見え、好天を思わせる。スネガの地下鉄ケーブルで上った後ゴンドラでロートホルン3103bからの展望を楽しんだあと、ブラウヘルトからリュッヘルアルぷまでマッターホルンの眺めながら3時間ほどハイキングをした。そこからゴルナグラート登山鉄道で3090bまで上がり、目の前に迫る氷河(その数、7〜8本もあり実に雄大)の展望を満喫した。夕食は美味しいと評判のモンテローザのレストランで、郷土料理のチーズホンデュウに舌鼓をうった。
写真左から、朝にに染まるマッターホルン、次の三枚はハイキング、登山鉄道と頂上駅とホテル、次の三枚はその眺め、最後はフィンデルン村のネズミ返しのある倉庫
16日(水) ケーブルカーを乗り継いで、クライン・マッターホルンから3884bの展望を楽しんだ。
標高 1600bのツエルマットから、僅か30分余りで富士山の頂上より100b以上も高い展望台に立てるのには驚いた。言うまでもなく360度の展望。風は強いが寒さはそれほどでもない。 それにつけても、この国の人たちの観光に賭ける情熱ともいうべき姿に驚く。少しでも高い展望台へと施設を作ったり、楽に観光できるシステム(フライアンドレールやライゼゲベックシステム)、ホテルの行き届いたサービス、フラットの整備等数え上げたらきりがない。そして、古い伝統をかたくなまでも守って堅実に生活している。
そして、この国を訪れる人たちも素晴らしい。つい日本と比較してしまうが、若い家族連れも多く、それも下の子供は乳母車に乗せて歩く、年老いた夫婦は労り合いながら歩く、老若男女・障害の有無を問わずマイペースでハイキングを楽しんでいるのだ。ハイキングのみならず年齢を問わずマウンテンバイクを楽しむ人たちもよく見かけた。そしてここ(クライン・マッターホルン)では、スキーやボードをやる人たちで賑わっている。日本からも若い人が3ヶ月もの長期滞在で来ているのにも驚いた。アルバイトで稼いで毎年ボードをやりに来ているという。現地のレストランなどで働いている日本人も多いので、そのバイタリティーにも感心 する。
この国の人たちの愛国(愛郷)心の強さ驚かされる。というよりも、羨ましくさえ思える。どこの街・ 村へ行っても、赤色に白十字の国旗と州によっていろいろな動物をアレンジした旗を掲げているのだ。日本で日の丸 というと何となく違和感を感じる。愛国心という言葉や日の丸ににアレルギーを感じる人が多いのが残念に思う。過去の過ちはははっきり精算して、国を愛する気持ちをもてるように出来ないのだろうか。自分・家族・国を愛するのが自然だと思うのだが…
今日はハイキングは止めにして、村の散策を楽しんだ。
写真左から、テラスから今朝のマッターホルン 、ホテル前で、ケーブルと頂上駅、高さの表示、頂上からブライトホルンとマッターホルン方面の展望、直下に見える氷河の様子、ネズミ返しの倉庫、ツエルマット駅前の馬車と電気自動車( ガソリン車禁止)、どこの家でも綺麗に飾っている花、どこにでもある犬のトイレ、ホテル近くにある立派な鶏小屋(勿論放し飼い、屋根は石葺き) 、アンデルマットの通りの風景
17日(木) エーデルワイスの花を愛でながらハイキングを楽しんだ。
ウンター・ロートホルン(3103b)からスネガ(2288b)まで、3時間程のハイキング。待望のエーデルワイスがあちこちに可憐な姿を見せ、マッターホルンも全容を現し、歓迎してくれ ている。
写真左から、ウンターロートホルンの標識、歩き始めて間もなく、花2枚、マッターホルンとツエルマット、エーデルワイス2枚、夕日に染まるマッターホルン(ホテルのテラスから 21時15分撮影)
18日(金) 三度目のクライン・マッターホルンでの展望とスネガからのハイキングを楽しんだ。
朝から ピーカン。頂上展望台(3883b)からは遮るもののない360度の展望に酔いしれる。昨日と一昨日は雲が多く、動感はあるものの展望はいまいちだったが、今日は素晴らしさの一語。
その後、スネガからマッターホルンを眺めながらのハイキングも快適。ツエツマット最後の日、素敵な一日を過ごした。
夕食は、ホテル・モンテ・ローザのレストランで、郷土料理のラクレットを食べた。端的に言うと溶かしたチーズでジャガイモを食べるというもの。一人前7.5フラン(700円ほど)と安く、美味しかった。チーズ・ホンデュー(22フランー2000円ほど)より癖がなく、個人的には、ラクレットの方が好きだ。
写真左から、今朝(am6:10)のマッターホルン(ホテルのテラスから)、クライン・マッターホルン(3883b)からのマッターホルン(2枚目)、メンヒ・ユングフラウ(3枚目の中央の小さい山々)、モンブラン(4枚目の左の山)、の山。五枚目の逆さマッターホルンの写っているのはライゼー、6枚目はフィンデルンの村とマッターホルンを眺めながら行く、次はネズミ返しの倉庫、ツエルマット風景 、ラクレット、夕日に輝くマッターホルン(21時06分ー部屋のテラスから)
19日(土) 氷河特急でクールに着いた。
ツエルマット8時50分に出て、クールへ2時半に到着。暑い。市内の様子を見に出たが直ぐ帰ってくる。レストランの日替わり定食の量の多さに辟易。三分の一も食べられない。ここは2泊の予定だったが、キャンセルして明日チューリッヒに向かう予定。ホテル(ロマンチックホテル・シュテルン)の部屋もサービスも悪いため。
写真左から、今朝6:06ホテルテラスからのマッターホルン、楽しかったツエルマットを後に、氷河特急と・パノラマカー、定食の量の多さ
20日(日) チューリッヒへの途中、アッペンツエルを訪ねた。
保守的なスイスでも特に保守的といわれ、1991年になって女性の参政権が認められたこと、年に一度4月の最終日曜日に住民が集まって野外集会(ラインツゲマインデ)を開くことで有名なところ。この日は、そのラインツゲマインデ広場では、ビーチバレーの大会が開かれていた。中心街は美しく、周囲は牧歌的な風景でとても素敵なところだ。 日本人観光客に、殆ど(2人みただけ)会わないのもいい。写真のアッペンツエルビールが美味かった。コースターに楽しい絵が描かれているので、レストランの奥さんに話したら、快く20数枚も譲ってくれたのには驚いた(^_^)v。
写真左から、サンクト・ガレンからの私鉄で1時間弱、アッペンツエル駅、ビールとコースター、美味しかった食事、街の様子、ビーチバレー大会、看板がおもしろい、最後のは市庁舎にかかっている州旗
21日(月) 中世の街シャウハウゼン観光と、ラインの滝を観に行って来た。
スイスに来て始めて雨模様の中、チューリッヒから電車を3回乗り継いでシュタム・アム・ラインの街に向かった。着いたときには、風雨が激しくとても観光どころではない。直ぐに来た電車で30分ほど引き返し、シャゥハウゼンで降りる。まもなく雨も上がり晴れ間も見えてきたので、中世の面影を残すこの街を散策した。昔は、ライン川沿いの街で近くに滝があるため、舟運による荷の集荷で賑わったようだ。街のたたずまいがとても素晴らしい。ここも日本人の観光客が少なく、半日歩き回って2人ほど行き会っただけだった。ラインホール(滝)は駅からバスで10分ほど行き、その後10分ほど歩いて行ったところにある。観光船に乗って近くで見たが、しぶきを浴びながらの見物は、迫力満点だった。その後、ライン川沿いの サイクリング・ロードを6qほど歩いて、シャウハウゼンの駅まで戻った。
写真左から、街の様子(7枚)、ラインフォール(2枚)、ライン河沿いの遊歩道散策(3枚)
22日(火) 今日も、中世の街シュタム・アム・ライン観光と、ライン下りの遊覧をした。
朝から快晴。昨日果たせなかったシュタム・アム・ラインで、中世の街を観た後、ライン川を1時間半ほどかけて、昨日行ったシャウハウゼンまで船下りをしてきた。この街の起源はローマ時代に遡るが、壁画が素晴らしい市庁舎広場周辺の建物は、15世紀以降に建てられたという。広場のテラスで美味いビールを飲んで、ほろ酔い気分で眺める景色は、中世そのもの。至福の一時。
船下りは穏やかなライン川を下るもの。大きな遊覧船で揺れもなく音も静か。水はエメラルド色で神秘的な感じ。川辺では家族連れが、オートキャンプ・遊泳・ボート・カヌー等に興じる姿が多く見られた。木陰では老夫婦とおぼしき人がデッキチェアーで涼んでいる姿も微笑ましい。この国の豊かな生活が垣間見られる感じの風景だった。この日も、日本人観光客 らしい人に出会わなかった。
現地の人と思われる人からジャパニーズ?と声をかけられ、マイカー、マツダと嬉しそうに話してくれた。日本の企業も頑張っている。車はやはり、BMB、ベンツ、VW、フィアット等ヨーロパのが多い。日本のでは、ホンダ、マツダ、トヨタ、イスズ、スズキ、三菱、日産を見かけた。ついでに、カメラ・ビデオは日本のが圧倒的に多い感じ。
写真左から、朝日(ホテル19階から)、聖ゲオルグ修道院(11世紀)、広場、市庁舎、ホテル、ウンター門、乗船した船、船内の様子、途中の風景、最後はシャウハウゼンの広場
23日(水) リヒテンシュタイン侯国に行って来た。
昨夜から今朝方まで続いた雷雨も、8時頃には上がった。チューリッヒからザルガンスまで1時間一寸、そこからポストバスで30分。ヨーロパ第4の小国(160平方キロメートル、人口32000人)の首都ファドウーツに着く。切手が美しいので有名な国という。中心街は観光客で賑わっていたが、日本人らしい人は見かけなかった。観光局のインフォメーションセンターで、パスポートに入国記念のスタンプ(スイスでは押さないので唯一となる)を押してもらう(2CHF)。高台にあるファドウーツ城には、今でも侯爵が住んでいるので入れない。侯家の招きで、浩宮殿下もここでスキーを 楽しまれたという。
夕食を、泊まっているホテルのオープンテラスで食べながら妻と写真を取り合っていたら、近くで食べていた方が撮ってあげると言って、撮ってくれた。彼(アメリカ人?)は東京にいたことがあるといっていたが、埼玉というのは知らなかった(やっぱり田舎?)。食後隣接の広場を散歩したら、夜の8時半というのに夕涼みがてらの人で賑わっていた。路上のチェスだろうか?真剣に考えてやっている姿、それを観て楽しんでいる人と様々。親子ずれも楽しんでいた。
写真左から、ザルガンスの駅を降りてポストバスでファドーツへ向かう(2枚)、街の様子(3枚)、切手博物館の切手の下絵と切手、郵便局の広場にあった沖縄の踊りの絵(相当大きい)、スタンプ (これが目的で、ここへきたようなもの)、ファド ウーツ城、夜の8時半広場で楽しむ人たち(2枚)、楽しい夕食
24日(木) チューリッヒ空港を13時05分(現地時間)に搭乗。
25日(金) 朝7:36分、楽しい思い出を胸に成田に着いた。 飛行時間は12時間弱だった。
【雑感】
初めてのスイス、それも個人旅行。多少の心配はあったが、2〜3日もすると、杞憂ということが分かった。さすが観光立国だけあって旅行者に優しい。地図を覗いて目的物を探していると、必ず誰かやってきて丁寧に教えてくれる。何度助けられたことか、親切が身に沁みる。そして、運転している人のマナーがいい。横断歩道で立ち止まると、必ず停車して通してくれる。現地の人ばかりでなく、ジャパニーズ?といって話しかけてくる。もっと英語が出来たらと、もどかしい思いもした。でも、それも楽しい思い出。それと、旅行しやすいように、システムも優れている。以下に上げてみる。
〔スイス・パス〕 国内の国鉄・私鉄・船・ポストバス(登山鉄道を除く)が期間内乗り放題。写真のスイス・セーバーパス(2人一緒の行動を条件に15%も安い)は、22日間で808USドル(1ドル118円として、95344円)だった (2人分)。
〔ユングフラウ・バーン・パス〕 ユングフラウ地域の登山鉄道が一部を除き(ユングフラウヨッホ行きは半額)期間内乗り放題。写真のは、5日間有効(最大−従って今回はこれを2枚)で、一人120スイスフラン(1スイスフラン90円とすると、10800円)だった。ツエルマットも同様に、ツエルマット・ピーク・パスが4日間有効で一人170スイスフラン(15300円)だった。
〔タイム・テーブル〕 国鉄駅の窓口で、何処へ何時台の電車に乗っていきたいのでタイムテーブルをほしい旨伝えると、即座にプリントしてくれる。これが優れもので、何処の駅、何時何分・何番線、乗り換えは到着時間・到着番線、待ち時間、発番線・時間、等々実に詳しい。船もバスもこれにプリントされている。日本の国内からでも、インターネット(SBB Travel Online)で調べることもできる。
〔道標〕 ハイキング道の要所には必ずこのような標識があって、方向・時間が記されている。日本のハイキングは、登山というイメージになりがちだが、スイスでは道もよく整備されているので、散歩気分で歩けるところも多い。乗り物も四通八達しているので、なおさらだ。老若男女ハイキングをしている人が多い。家族連れも多く、特に、低年齢の子供でもしっかりした靴(踝の上まであって、足を保護する)を履かせているのが目についた。
〔モバイル事情〕 これはチューリッヒで泊まったスイソテルの部屋の設備。黄色い線で繋ないであるのがアナログ端子。左側には、ISDN端子もある。モデムセーバー(手前黒いの)は必携。このような設備がないところでは、フロントに話してプラグを借りたり、持っていったプラグ変換用のを使ったりして、どのホテルからもインターネットにアクセスできた。