(9)−1 アクロポリス遺跡

−ダイアモンド社「イスタンブールとトルコの大地」、現地で買い求めた「ベルガモン」を参考、引用した−

ここはエーゲ海沿いのベルガモにあるヘレニズム時代の遺跡。ベルガモンと呼ばれたこの都市の歴史は、アレキサンダー大王(前356-323)の死後、分割された領土を手にしたキマコスが新王朝を開き、その部下フィレタイロスが跡を継ぎこのベルガモン王国を築いた。

左: 小高い丘の上にある遺跡(見学したのは、この丘の左側端)、右:見学(右下から入場して、ほぼ赤矢印)した上アクロポリスの遺跡配置図(ベルガモンから)

 

左:ヘルーン(ベルガモン王達を神として祀った施設)付近を行く、中:説明を聞く、右:忘れた

 

左:忘れた、中・右トラヤヌス神殿(114年に建設が始まったらしい。)

 

左:忘れた、中:劇場、右:劇場と遺跡

収容人員1万人、古代劇場で最大の傾斜を持つ、左上の塔は、ビザンチン時代のもの。オーケストラ部分(写真中の右下の半円形)には石の演壇が据えられ、観客席の最上段には回廊を巡らした。観客席には安山岩製の座席が80段並び、観客の出入りを容易にするため、二つの踊り場で大きく上中下に仕切られている。中と下の段はロイヤルボックスで、中の段のそれは大理石製である。下の段の貴賓席には背後の台座のみ大理石だった。

下のテラス(オーケストラ部分の、右側)の中央に四角形の大きな穴が並んでいる。この劇場ではステージとその背後は木造だった。催しが終わるとポータブル式のステージを取り外し、テラスの下の支え壁の下の穴に収容した。穴は石板で塞いで おくから、人々はそのテラスを自由に散歩することが出来た。テラスの下にあった商店に通じる木造階段の跡も発見されている。

 

左:ベルガモンにある貯水槽(ガイドブックの「ベルガモン」から転載)、右:眼下に見える水道施設(矢印)

ベルガモンは海抜350bにある。ベルガモンの北方42qにある標高1230bのビンダス山(現在のマダラ山)から、水道橋で給水していた。50〜70pの管を20万個も繋いだパイプラインで、その最後に見られるシステムは、インヴァーティッドサイホン方式、つまり数カ所のローディングユニットとしてのプールに蓄えられた水が斜面を流れ落ち、その反動で反対側に無駄なく吸い上げられる方法(上の図−ガイドブックの「ベルガモン」から転載−)である。ローディングユニットの位置は海抜376b、最終地点のアクロポリスの丘は350bだった。

2000年も前に、こんな素晴らしい施設を造った知識や技術に驚かされる。

 

大祭壇跡(ゼウスの祭壇)

ヘレニズム都市ペルガモンの名を世界に知らせた代表的建築物がこの大祭壇(ゼウスの祭壇)だった。この大祭壇に関する最古の文献は、建築後400年を経てこれを目にしたローマ人、ルキウス・アンペリウスの著した歴史及び自然科学辞典というべき”回想録”である。

……ペルガモンには素晴らしい大理石の祭壇がある。高さ40フィートに及び、見事な彫像が並んでいる。壁全体に神々と巨人続の戦いの浮き彫りが……

そして1871年、鉄道建設の監督をしていたドイツ人エンジニア、カール・フーマンが、ドイツ人考古学者を含む調査隊に彼が見た”人間、馬、野獣の戦いの浮き彫り”について話している。その間、大祭壇についての記録は全く見られない。神々と巨人族の戦い、それは古代ギリシャ美術のポピュラーなテーマで、ペルシャを初めとするギリシャの敵を打ち破った誇りと、混沌に対する秩序の勝利を象徴する。そして、ペルガモン王国のアタロス王朝にとっても敵、特にガラティア人に対する勝利を意味した。

1878年から4年かけて行われたドイツ隊の発掘調査の結果、巨人族との戦いを描いた97枚の浮き彫りパネルと2000にのぼる断片が出土した。さらに、テレフォスをテーマとしたパネルが35,断片は100、その他多数の彫像や碑文、建材が発見されている。今日、ペルガモンの大祭壇はペルリンのペルガモン博物館で復元公開されている。

大祭壇復元模型か?(ガイドブック「ペルガモン」から転載)

大祭壇は、エウメネス2世治下の紀元前170年代に始められ、前159年にアタロス2世が即位するまで続けられたが、あまりに膨大な費用のため、アタロスは未完のままで工事終了を命じたらしい。

36×34bの大理石製祭壇の四方に五段の基壇を据え、その上を高さ2.3b、全長120bの馬蹄形の腰壁が囲んでいた。大きく開いた西側の20b幅の廣い階段を上ると、三方を囲んだ腰壁の浮き彫りの上にイオニア式柱廊がある。その中央に供物の祭壇が置かれていた。犠牲獣は石段の前で生け贄とされ、神々に捧げる部分だけを供物の祭壇で焼くのだった。この供物段の周りの壁にも、小型のフリーズを巡らしていた。屋根はケンタウロスや4頭立て馬車、神々や馬などの像で飾られている。

腰壁をとりまく大きなフリーズの浮き彫りが、ギマントマキー、ギリシャの詩人ヘシオドスが神統記に描いた、ギリシャの神々と巨人族の戦いである。天の父ウラノスと、地の母ガイアから生まれた巨人達は長い髪や髭、大蛇のような脚が特徴である。ゼウスが巨人族の兄妹ティターンを地獄に閉じこめたため、怒った巨人達は突然、オリンポスの神々を襲ってきた。ゼウスの妻ヘラは、ライオンの皮を来た人間が戦いに加わらない限り、巨人を倒すことは出来ないと預言する。そこでヘラクレスが父ゼウスを助け、活躍することになる。供物の祭壇の間の浮き彫りは、ヘラクレスの息子で、ペルガモンの伝説的建国者テレフォスの生涯を描いている。‥あと略

 

(9)−2 アスクレピオン

アクロポリス遺跡から2−3qの所にある、古代の総合医療センターで、前4世紀から後4世紀まで使われていた。

ここで、病人や代理人が生け贄を捧げて参拝し、入浴して身体を清め宿泊した。そして、見た夢を神官が判断し、治療法を示唆した。聖なる道を抜けた広場にはヘビの彫刻を施した円柱が残っている。脱皮するヘビを、生まれ変わる生き物=再生としてとらえていたようだ。隣は医学書なども集められた図書館。その先、広場の中央に身体を清めた聖なる泉があり、横には劇場がある。音楽療法なども試みられていたようだ。治療施設にはトンネルを通って入るのは、健康の維持・回復の治療と信仰が同時に行われたことを意味する。トンネルは「俗の場」と「神聖な場」の境界だった。−ダイアモンド社「イスタンブールとトルコの大地」から−

左:現地の案内図に、ガイドブック「ベルガモン」から書き込んだ 右:右の山がアクロポリス遺跡(聖なる道から見た)

ヘビの彫刻を施した円柱

 

左:お土産店の前を通って 中:聖なる道 右:北側柱廊(奥に劇場が見える)

 

左:聖なる泉と劇場(収容人員は300人) 右:劇場の階段に施されているライオンの脚

 

 

左:柱廊? 右:治療棟付近?

 

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